あれはもう何年前になるだろうか。
おそらく5~6年前ほど前。期間は二週間程度だったと思うのだが、あまり定かでない。
その、ごく限られた短い期間、僕は東京で路上生活をしていた時期があった。
なんであんな生活をしてたのかはいまいち思い出せない。
確か、東京には複数の友人も居て、誰かの家に泊めてもらう環境もあったはずなのだが、何故か当時の僕はコンクリートブロックをベッドにする事を選んでいた。
人生においてホームレス生活を経験しておくことは重要だと考えていたのか、あるいは暇を持て余した人間の道楽だったのか、もしくはなにかしら必要に迫られてだったのか、さっぱり思い出す事が出来ないのだが、スケッチブック一冊でどうにか金を稼ごうと、全く似せる気のない似顔絵屋をやったり、殴られ屋をやったりしながら日銭を稼ぎながら寝苦しいほどに蒸し暑い夜を越し続けた出来事は鮮明に覚えている。
そして、あの夜の日の出来事もまるで映画でみる美しいワンシーンのように脳みそに張り付いて、思い返すだけで今でも心が躍るのだ。
当時、人の集まるところには金も集まると考え、新宿や渋谷など人口密度の高い土地を選んでは路上活動を勤しんでいたが、それらの街は寝るにも休むにも騒がしすぎて、とても長居する気にはなれず、転々とした末に辿り着いたのが高円寺という街だった。
いかにも東京らしい他の街とは違い、明らかに気の緩んだ連中が跋扈(ばっこ)する過ごしやすい街だった。
ある日、駅前広場で一人で酒を呑んでると、ベロベロに酔っ払った知らない女性から一緒に酒を呑もうと誘われた。
何かの罠を警戒しながらも、この広場で呑むなら構わないと承諾すると、その女性は次第に広場であてもなくダラダラと酒を飲んでる人たちやスケートをしてる人、ただただ空を見上げてる人など次々に声をかけ始め、気づいた頃には、高円寺北口広場の真ん中で外国人やホームレス、専門学生からパンクスまで謎の組み合わせで輪を作り、20人くらいの大宴会が行われていた。
丁度それをきっかけに僕は高円寺という街を好きになったのだが、時を同じくして弟のシンくんも東京にやってきており、彼もまた路上生活を行ない始めていた。
そんなある日の事、パンクのライブで出会ったザックとブランドという日本に旅行中のアメリカ人と出会い、仲良くなった。
このアメリカ人二人組も僕ら同様に路上生活を基本にしており、「あそこの神社は涼しく寝れる」「あそこの寺はすぐに締め出される」など、僕らは寝床の情報やライブの情報を共有したりしていた。
そんな二人だが、毎日会っていたはずが、ある日を境に見かけなくなった。
それから二~三日後、高円寺駅の北口広場で再開し、そのとき彼らがしきりに"スクワット"という言葉を発していた。
僕は最初てっきり筋トレでもハマり始めたのかと思っていた。
だが、中学生にも満たない英会話能力しか持たない僕でも、さすがになにかが違う気がして、どうにかこうにかテレパシーとか使ってみたりして、二人の言葉を読み取る事に成功し、どうやら彼らは「家を手に入れた」らしいのだった。
そして、その手に入れた家を"スクワット"と呼んでいるようだった。
「今日は誕生日パーティをするからウチに来なよ!」
丁度この日、ザックが誕生日だったようで、彼らに連れられて僕と弟は高円寺南口から徒歩にして10分ほどの距離にある廃ビルまでやってきた。
どう見ても家ではない。
ビルの入り口らしきところはブルーシートで覆われ、人の侵入を拒もうという堅い意思を感じられる。
僕らは辺りを見渡して近くに人がいない事を確認し、ビルの入り口に張られたブルーシートの隙間をくぐり抜けて中へと入る。
足を踏み入れるとそこは光の遮られた暗闇で自分の身体の先も見えない。
緊張感は止まない、真っ暗なこのときの事は今思い返しても心底ワクワクしたものだった。
近隣の建物に足音が届かないように、息を殺し、忍び足でゆっくりと奥へと進む。
少し進むと、携帯電話の灯りを使って地面を照らす。
「足元に気をつけろ」と言われ、地面をよくよく見ると、いたるところに蛍光灯が落ちている。
確かにこれは危ない。
慎重に二階、三階へと上がる。
その間にもやはり蛍光灯がそこら辺に無造作に転がっているのだ。
四階に登ると今度は廊下が一面真っ白い粉で覆われていた。
その傍らには消化器が落ちており、話を聞けば、一度警察に踏み込まれてしまったので、逃げる際に消化器を撒き散らしたらしい。
そして、先ほどから地面に転がっている蛍光灯にも実は理由があった。
蛍光灯を踏むと「ポンッ!」と言う大きな音が鳴る。
その音が聞こえれば、彼らが寝ている間にこのビルに入ってきた侵入者や警察が来たことの合図になる。
そのためにあえてトラップとして蛍光灯をいたるところに転がしてるとの事だった。
七階ほどまで上がると彼等の部屋を案内される。
そして、どこからか拾ってきたであろう卓上ライトの電気を付けると灯りが灯る。
部屋の中は無造作にソファが転がっているくらいで、到底生活感は感じられない。おそらく寝泊まりさえ出来れば良いと言う事だろうか。
「ん?」
ところで、どう見ても電気なんて通ってないであろう廃ビルのはずなのになんで電気が付くのだろうか。
それを質問すると彼らの内の一人がランプのコンセントを指差した。コンセントの先はとても長い延長コードが連結されており、それを辿ると窓の外まで伸びていて、さらにその先は隣のビルのベランダへと続いていた。
どうやら隣のビルのベランダにある洗濯機用のコンセントから盗電してるようであった。
彼らがやっている事は確かに悪い事ではあるが、その知恵や行動力など、良い歳まで秘密基地を作っていた身としては素直に感心してしまったし、彼らがまるで映画のような生活をしてる事にワクワクしてしまった。
それから彼らの部屋の紹介も早々に、さらに上へと階を進め、屋上へとやってきた。
パーティは屋上でやるらしい。
屋上のドアを開けるとそこには様々な人種の外国人が十数人いた。日本人は一人もいない。僕と弟の二人だけだった。
パーティーと言うから大騒ぎしてるのかと思いきや、誰一人も騒いでいるという事は無く、静かにお酒やジュースを飲みながら屋上からの景色をのんびりと楽しんでいた。
「一番良い場所に案内してやるよ!」
二人は塔屋のハシゴを登り始め、それに僕らも続いて登りきる。
「このビルはこの近辺で一番高いビルだから、ここまで来たら誰も俺たちの事なんか気付けない!そんなところから観る景色は美しいだろう!」
僕はこの時のこの光景は本当に忘れられない。
街の灯りが一面に煌々と広がる中、目をすぐ下に落とすと、多様な国の人々が同じ景色を観ながら静かにお喋りをしている。
とても不思議な体験だった。
その時から僕は人伝てに、ヨーロッパを中心に廃墟を占拠するスクワット(ヨーロッパの人たちはスクオットと発音していた)という行為がある事を知っていく。
多くのパンクスやアナーキストが集まり、ビルや一軒家、または街の一区画を丸ごと占拠して自分たちのものにし、そこで新たにアートや音楽の文化活動を行うスペースや、社会的弱者の支援や受け入れをするスペースなどが作られているらしい。また、占拠するまでは違法行為ではあるが、その後、裁判で勝ち取り、公的に認められたところも数多くある。
僕はその文化に心底興味が湧いていっていた。
そんな折、アルカシルカという僕が今やっているバンドが東京でライブをした時に、一人のオーストリア人から興奮気味に片言の日本語で話しかけられた。
「お前らは沖縄なのか?あんな小さな島でどうやったらこんな音楽が生まれるんだ?絶対ウケないだろ?お前らの音楽は日本には早すぎるから、すぐにでもヨーロッパでやった方が良い。ヨーロッパに来るなら俺がツアーを全部組んでやる」
と、照れ臭くなるくくらいに褒めてもらえたのが2年ほど前。
そして、遂にその時の約束は果たされ、明日から2週間バンドでヨーロッパツアーに行ってくることになった。
しかも、ほぼ全てのライブスペースがスクオットでの開催らしい。
どんなものを観て、どんな事を感じて来れるのかとても楽しみである。
また、スクオット文化についての情報や資料が日本にはあまりにも少なすぎて、僕も今いち把握できてない事もとても多い。
なので、今回、ライブだけでなく、ツアーに同行してくれる事になったカメラマンのコウヘイくん(South Nerd Film / kampsiteOKINAWA)と共にヨーロッパのスクオット事情が実際どうゆうものなのか、映像を撮り溜め、何かしらの形で広く伝えられたらと計画もしている。
そわなわけで、本日よりヨーロッパツアーに行ってきます。
あと、帰りに台湾にも寄って台湾でもライブがある。楽しみ!
ではでは!
この記事へのコメント